いつも見ている犬の向こうに
最近会う人に、よく驚かれる。入院していた私が、まさか3カ月でここまで回復するとは思わなかったという。今だから言えるそうだが、病院に搬送された直後に嫁から連絡があった人たちは、覚悟したらしい。詳しく知らなくても「頭蓋骨骨折」、「脳挫傷」、「外傷性くも膜下出血」、「急性硬膜外血腫」、「急性硬膜下血腫」なんて羅列しただけでアウトだろう、と自分でも思う。
助かった時点でも不思議なのだが、見舞いに来てくれた人は、前とどこか様子が違ったとか、話すことがときどき支離滅裂だったいう。しかし話せる状態にまでになっていて、少し安心したと。ただそんな様子から、何かしら後遺症は残るだろうし、退院は早くても半年、以前のように暮らせるようになるには何年もかかるだろうと思っていたらしい。
だから退院して、そういう人に会うと「信じられない……。普通に歩いて、普通に話してる」と驚かれるのだ。ちょっと心配なので「呂律とか、大丈夫?」と聞くと「前より滑舌よくなってない?」と逆に聞かれたりする。医療関係者の知人からは「後遺症も一切ないの? そんなの奇跡的だよ」としみじみ言われたりする。中には「どれだけ生命力強いの?」と笑いながら言われることもある。
自慢ではないが、生命力なんて決して強くないと思う。健康的でもないし、筋力もないし、スポーツもやらないし、晩酌毎晩する派だし。泥酔していたわけではないが、階段から落ちたときに酒を飲んでいたのは事実だし、そもそも自宅の階段から落ちて大けがをしている時点でダメ人間だろう。唯一健康的といえるのは、朝と夕方、雨でも風でも毎日欠かさず犬たちと近所を散歩していたことくらいだ(外でしか排せつしない派なので渋々)。
これまで書いたとおり、入院中のことはほとんど覚えていないし、「がんばって早く復活しよう」と思った記憶もない。自分がおかしいという自覚もなかったし、夢ではタタミイワシを売り歩いていただけだ。退院してからリハビリをしたわけでもない。だから正直、なぜ助かったのか、なぜ驚かれるほど回復しているのか、自分でもわからない。
そんな話をすると、決まって「きっと誰かに助けられたんだよ」と言われる。三途の川を渡ろうとしたら、先に亡くなった家族や親しい友人から「まだこっちに来るな!」と押し返されたんじゃないかと。そういうときは「俺、その手の話は信じないからね」などと笑って返している。
でもその奥では、唯一心当たりのある相手に「俺はいつでもお前のそばに行ってもいいと思ってたんだけどな」と伝えたい気持ちになったりする。でもよくよく考えたら、大吉と福助を置いて先に逝かずに済んだから、感謝はしている。しかしそんなことがあるのだろうか。不思議に思うが、答えは分からないままだろう。
大吉と福助が楽しそうにしている姿を眺めながら、今でもときどき懐かしいあいつの手触りを思い出す。
プロフィール
穴澤 賢(あなざわ まさる)
1971年大阪生まれ。
株式会社デロリアンズ代表。2005年、愛犬との日常をつづったブログ「富士丸な日々」が話題となり、その後エッセイやコラムを執筆するようになる。著書に『ひとりと一匹』(小学館文庫)、自ら選曲したコンピレーションアルバムとエッセイをまとめたCDブック『Another Side Of Music』(ワーナーミュージック・ジャパン)、愛犬の死から一年後の心境を語った『またね、富士丸。』(世界文化社)、本連載をまとめた『また、犬と暮らして』(世界文化社)などがある。
ブログ「Another Days」
大吉(2011年8月17日生まれ・オス)
茨城県で放し飼いの白い犬(父)とある家庭の茶色い犬(母)の間に生まれる。飼い主募集サイトを経て穴澤家へ。敬語を話す小学生のように妙に大人びた性格。雪と花火と暴走族が苦手。せっかく海の近くに引っ越したのに、海も砂浜もそんなに好きではないもよう。
福助(2014年1月11日生まれ・オス)
千葉県の施設から保護団体を経て穴澤家へ。捕獲されたときのトラウマから当初は人間を怖がり逃げまどっていたが、約2カ月ほどでただの破壊王へ。ついでにデブになる。運動神経はかなりいいので、家では「動けるデブ」と呼ばれている。