先代犬の「富士丸」と犬との暮らしと別れを経験したライターの穴澤賢が、
数年を経て現在は「大吉」と「福助」(どちらもミックス)との暮らしで
感じた何気ないことを語ります。
2024年11月、
『犬と山に移住して一年』で書いたように、鎌倉市腰越から長野県原村に移転しても困ることはなく、むしろ夏に毎日5時に起きなくてもよくなったから快適だ。そんな暮らしで、大吉と福助はどう変わったのかを書いておこうかと思う。
大福のマインドが変わった
まず、散歩での足取りが軽くなったように感じる。腰越で暮らしていた頃は徒歩3分ほどで江ノ島を望む砂浜だったから毎日そこを散歩していたが、彼らは景色や海に一切興味がなく、砂浜はただ「用を足すところ」という認識で、用が済んだらさっさと帰りたがった。散歩そのものを楽しんでいる様子はなく、ルーティンでしかなかった。
それが山ではあちこちクンクンとニオイをかいで、なんだか楽しそうだ。腰越時代と比べると明らかに歩き方が違う。冬は寒いから用を足したら引き返すが、春から秋は用が済んでもまだ歩きたがる。これも腰越時代ではあり得なかったことだ。
さらに、散歩から戻ると、毎回ドッグランで少しバトルしたり、走り回ったりする。私が頑張って草刈りした作った手作りドッグランだが、敷地が300坪あるので大福には十分の広さだ。
都内や腰越で暮らしていたときも、休日たまにドッグランに遊びに行ったりしていたが、今ではプライベートドッグランがあり毎日好きなだけ走れるから都会では考えられないことだ。
以前から大福はだいたい夜8時半頃になると、外にオシッコをさせに連れて出ていたが、今ではドアを開けて「ほら、行っといで」と外に放てば、ドッグランでオシッコをして戻って来る。
シニア犬の大福がいきいきとしている
また、私が暮らすのは「丸山の森別荘地」で、家の前は幹線道路ではないから、日中でも住民以外ほとんど車は通らない。自然に囲まれてとても静かだ。江ノ島と違って観光客はいないから夜中に花火の音がパンパン聞こえてくることもなく、花火恐怖症の大吉にとってはうれしい限りだ。
それから、
『前回』書いたように、山々に囲まれているから犬連れで登山に行くもの楽ちんだ。高速道路で渋滞に巻き込まれることもなく、登山し放題である。
もしも急に体調が悪くなったとしても動物病院はいくつもあるし、そうならないために大福は半年に1度「血液生化学検査」を受けている。昨年末の検査では大福ともに「ほぼ問題なし」だった。
何より、山に移住してから大福が元気になったように感じる。腰越時代の日常ではなんとなく覇気がなかった。それが
『インスタ』にちょこちょこ動画をあげているように、弾けるように走ったりしている。大吉はもう13才で、福助はこの前11才になったというのに。
というように、改めて考えてみても、大福にとっては山に移住してよかったことばかりで、デメリットは特に思い当たらない。大福の気持ちは分からないが、見ている限りそんな感じである。
都会で犬と暮らす人は「本当に?」と思うかもしれないが、これが私の素直な感想だ。信じられない人は、もう少し暖かくなったら犬と一緒に遊びに来てみると分かるだろう。犬たちはきっと顔を輝かせて喜ぶと思う。
プロフィール
穴澤 賢(あなざわ まさる)
1971年大阪生まれ。2005年、愛犬との日常をつづったブログ「富士丸な日々」が話題となり、その後エッセイやコラムを執筆するようになる。著書に『ひとりと一匹』(小学館文庫)、自ら選曲したコンピレーションアルバムとエッセイをまとめたCDブック『Another Side Of Music』(ワーナーミュージック・ジャパン)、愛犬の死から一年後の心境を語った『またね、富士丸。』(世界文化社)、本連載をまとめた『また、犬と暮らして』(世界文化社)などがある。2015年、長年犬と暮らした経験から
「DeLoreans」というブランドを立ち上げる。
ブログ「Another Days」
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大吉(2011年8月17日生まれ・オス)
茨城県で放し飼いの白い犬(父)とある家庭の茶色い犬(母)の間に生まれる。飼い主募集サイトを経て穴澤家へ。敬語を話す小学生のように妙に大人びた性格。雷と花火と暴走族が苦手。せっかく海の近くに引っ越したのに、海も砂浜もそんなに好きではないもよう。
福助(2014年1月11日生まれ・オス)
千葉県の施設から保護団体を経て穴澤家へ。捕獲されたときのトラウマから当初は人間を怖がり逃げまどっていたが、約2カ月ほどでただの破壊王へ。ついでにデブになる。運動神経はかなりいいので、家では「動けるデブ」と呼ばれている。