先代犬の「富士丸」と犬との暮らしと別れを経験したライターの穴澤賢が、
数年を経て現在は「大吉」と「福助」(どちらもミックス)との暮らしで
感じた何気ないことを語ります。
知らない人もいるかもしれないが、私は元バンドマンである。マーシャルという胸くらいの高さのギターアンプを爆音で鳴らしていた。かといって、音楽で生計を立てていたわけではない。というか、まったく食えないのでバイトしていた。正社員をしていた時期もあるが、基本はバンド中心に考えて、ライブの日は仕事を休む。だから休みたい日に休めるかどうか、残業が多くないか(バンド練習があるから)という基準で職業を選んでいた。
犬との暮らしで生活が激変
慣れてきて責任のある立場になると、一身上の都合で辞める(自由がきかなくなるから)。そうやって旅行会社からガラスフィルムを貼る職人、24時間サポートの夜勤までざっと数えただけでも10種類以上を渡り歩いた。その結果、インディーズレーベルからCDを1枚出しただけで結局鳴かず飛ばずで挫折したから、誰も知らなくて当たり前である。
当時は、私生活も乱れに乱れていた。高円寺や下北沢あたりで夜な夜な安い酒を飲んでは酔い潰れ、ライブの後は打ち上げと称して呑んだくれていた。明け方まで飲んで昼すぎまで寝るのなんて普通だったし、その方がミュージシャンっぽいじゃんとさえ思っていた。正真正銘のだめ人間だったのである。
それが今ではどうか。鎌倉市腰越に越してからは飲みに行くこともほとんどなくなった。たまに飲みに誘われても横浜くらいまでしか出ないし、妻の帰りが遅いと分かっている日は避ける。大吉と福助の留守番が長くなるからだ。夫婦で夜家を長く空けることはない。近所に夕食を食べに行くこともあるが、だいたい1時間ほどで帰る。
遊びに行くとしても、大福が喜ぶかどうかが基準で、嫌がるところには極力連れて行かない。動物病院の定期検診だけは、いくら嫌がっても連れて行くが。
朝はどうかというと、私が一番早起きである。この夏の暑さは尋常ではなかったので、毎朝5時に飛び起きて「今のうちに行くぞお前ら!」と、眠そうな彼らを急かして散歩に行っていた。迷惑そうな顔をされながら。
買い物に行くとしても、のんびりあれこれ見て回るなんてことはせず、必要最低限の物だけ買ったらすぐに帰る。私は基本家で仕事しているが、出かける用事があっても留守番の時間がどのくらいになるか常に気にかけている。長くなりそうなら、妻に早めに帰宅してもらうよう頼むし、それが難しいならスケジュールを変更する。そんな風にしているのに、彼らは私が帰宅しても出迎えに来ることはまずない。「あ、帰ったの?」くらいのリアクションなのだが、それはそれでいい。
犬基準の暮らしが当たり前に
そうして考えてみれば、自分のあらゆる行動が犬基準になっていることに驚く。きっと犬と暮らす人の多くが「私もそう」と頷いているのではないだろうか。おそろしいやつらだ。
私の場合、根底がだめ人間なのは変わっていないと思うが、少なくとも何かをするとき、必ず大福のことを考える。だからといって、分離不安になるほどお互いべったり依存しているわけでもない。
一緒の空間にはいるけれど、特にかまうこともない時間は多い。ただ、なんとなくそばにいる。仕事をしている後ろで昼寝していたり、夜リビングで一杯やっているときに、隣でごろんと寝ていたり。彼らもそれで満足なのが分かるから、そんな距離感になっている。
そして遂に、『
山へ完全移住』することにした。いろいろ考えてのことだが、1番の理由は山の家にいる方が大福は楽しそうだし快適そうだから。大吉は12才、福助は9才になった。であれば元気に走り回れるうちに、そういう環境に移り住むのも悪くないなと思ったからだ。
高円寺で飲んだくれていた人間が、まさかこんなことになろうとは。でも、犬と暮せばあなたもそうなるかもしれないよ。
プロフィール
穴澤 賢(あなざわ まさる)
1971年大阪生まれ。2005年、愛犬との日常をつづったブログ「富士丸な日々」が話題となり、その後エッセイやコラムを執筆するようになる。著書に『ひとりと一匹』(小学館文庫)、自ら選曲したコンピレーションアルバムとエッセイをまとめたCDブック『Another Side Of Music』(ワーナーミュージック・ジャパン)、愛犬の死から一年後の心境を語った『またね、富士丸。』(世界文化社)、本連載をまとめた『また、犬と暮らして』(世界文化社)などがある。2015年、長年犬と暮らした経験から
「DeLoreans」というブランドを立ち上げる。
ブログ「Another Days」
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大吉(2011年8月17日生まれ・オス)
茨城県で放し飼いの白い犬(父)とある家庭の茶色い犬(母)の間に生まれる。飼い主募集サイトを経て穴澤家へ。敬語を話す小学生のように妙に大人びた性格。雷と花火と暴走族が苦手。せっかく海の近くに引っ越したのに、海も砂浜もそんなに好きではないもよう。
福助(2014年1月11日生まれ・オス)
千葉県の施設から保護団体を経て穴澤家へ。捕獲されたときのトラウマから当初は人間を怖がり逃げまどっていたが、約2カ月ほどでただの破壊王へ。ついでにデブになる。運動神経はかなりいいので、家では「動けるデブ」と呼ばれている。