先代犬の「富士丸」と犬との暮らしと別れを経験したライターの穴澤賢が、
数年を経て現在は「大吉」と「福助」(どちらもミックス)との暮らしで
感じた何気ないことを語ります。
湘南国際村にあるドッグラン付カフェレストラン「Ven!Kitchen&Dog Garden」にちょくちょく行くのだが、いつもすぐに打ち解けて走ったり遊んだりする大吉とは対照的に、福助は輪に加われない。自分の居場所が見つけられず、立ち尽くしたり、隅っこでポツンとしていることが多い。
福助の犬見知りが治らない
原因の一端は私にあり、迎えた当時の子犬の福助は人間不信がひどく、まずそれを克服しなければいけなかったから、ドッグランに連れていく余裕がなかった。大吉を迎えた当初は東京の初台に住んでいて、代々木公園のドッグランに幼いころから連れて行ったが、福助を迎えたときは引っ越しており、近くにドッグランがなかったこともある。
すれ違う犬にガウガウうなる福助に対し、これはいかんと人間不信をクリアしてから「ドッグラン克服キャンペーン」を実施したが時すでに遅し。大吉以外の犬と触れ合わずに成長した福助が友好的になることはなく、ドッグランでは孤立するようになった。
それでも、当初はあいさつしてくる犬に敵意むき出しだったのが、攻撃的ではなくなった。といってもそもそも根は弱いやつなので、実際に攻撃することもなければけんかしたこともないのだが、散歩中にすれ違う犬をいかくすることもなくなったので克服キャンペーンは終了した。
大人になって態度が変わる?
それ以降も大吉が喜ぶからドッグランにはたまに行くが、福助は「犬見知り」を克服する兆しがないまま8才になった。この先もきっと変わることはないだろう。ただ、山の家などで何度も会っている犬に対しては、次第に受け入れるようになっている。
再会すると「やぁ、久しぶり!」と喜ぶ大吉に対し、福助は「お、おう」くらいのリアクションだが、顔見知りの犬たちに嫌そうな顔はしない。幼いころの経験から「犬見知り」になったのか、もともとそういう気質だったのかは分からないが(大吉だってそんなに頻繁にドッグランに連れて行ったわけではないから)、そこはもうあきらめるしかないようだ。
しかしよく考えれば、私もかなり人見知りだった。若いころはできるだけ知らない人が集まる飲み会などには行きたくなかったし、初対面の人と仲良く話すことなんてできなかった。友人たちは口を揃えて「お前の第一印象は、めっちゃ感じ悪かった」と言う。
それでも、なんだか寂しそうなやつだと思ったから仲良くしてやったんだと言われる。うるせーよ。でもありがとう。だから福助の気持ちがよく分かる。たまに会う顔見知りたちと、仲良くなれる日が来ることを陰ながら願っている。
プロフィール
穴澤 賢(あなざわ まさる)
1971年大阪生まれ。2005年、愛犬との日常をつづったブログ「富士丸な日々」が話題となり、その後エッセイやコラムを執筆するようになる。著書に『ひとりと一匹』(小学館文庫)、自ら選曲したコンピレーションアルバムとエッセイをまとめたCDブック『Another Side Of Music』(ワーナーミュージック・ジャパン)、愛犬の死から一年後の心境を語った『またね、富士丸。』(世界文化社)、本連載をまとめた『また、犬と暮らして』(世界文化社)などがある。2015年、長年犬と暮らした経験から
「DeLoreans」というブランドを立ち上げる。
ブログ「Another Days」
ツイッター
インスタグラム
大吉(2011年8月17日生まれ・オス)
茨城県で放し飼いの白い犬(父)とある家庭の茶色い犬(母)の間に生まれる。飼い主募集サイトを経て穴澤家へ。敬語を話す小学生のように妙に大人びた性格。雷と花火と暴走族が苦手。せっかく海の近くに引っ越したのに、海も砂浜もそんなに好きではないもよう。
福助(2014年1月11日生まれ・オス)
千葉県の施設から保護団体を経て穴澤家へ。捕獲されたときのトラウマから当初は人間を怖がり逃げまどっていたが、約2カ月ほどでただの破壊王へ。ついでにデブになる。運動神経はかなりいいので、家では「動けるデブ」と呼ばれている。