先代犬の「富士丸」と犬との暮らしと別れを経験したライターの穴澤賢が、
数年を経て現在は「大吉」と「福助」(どちらもミックス)との暮らしで
感じた何気ないことを語ります。
数年前から感じていることだが、大吉は未来を予測できると思う。どういうことかというと、彼は毎年夏になると、日が暮れる頃に落ち着きがなくなる。昼間はダラダラ昼寝しているのに、夕方の散歩から帰ったあたりから、うろちょろして不安そうにする。
大吉の危機センサーが発動
ちょくちょく仕事部屋にやって来ては、「まだ終わらない?」と目で聞いてくる。それはなぜかというと、おそらく花火に怯えているのだ。
私が暮らす腰越(鎌倉市)は、江ノ島が目の前に見えるところで、天気予報のときに江ノ島を背景にしている映像を見たことがあると思うが、あのカメラが設置してあるビル(正確には藤沢市)のすぐ近くだ。砂浜まで徒歩5分ほどで、毎朝毎夕あのあたりを散歩している。
夏は海水浴場になり、海の家が立ち並ぶ。当然、そこに遊びにくる人もたくさんいて、だいたい夜になると花火をする。若者たちが、海に来たんだし花火しようぜ、となるのも分かる。そのため、毎晩のように浜辺からパンパンと打ち上げ花火の音が聞こえてくる。
それが大吉にとっては恐怖なのだ。さらに、観光客があげる花火は可愛いものだが、江ノ島の花火大会が2回もある。となると、比べ物にならないドォォォォーン!という地響きのような音がしばらく続く。大吉にとっては地獄のようなもので、ガクガクプルプル状態になる。そんな大吉を残して行くこともできないから、2014年に引っ越してから、1度も江ノ島の花火大会は見に行ってない。歩いてすぐの距離なのに。
大吉は花火シーズンを認識している?
それはいいとして、大吉にとって毎年夏は試練の連続なのだ。そのせいで、夜になると不安になるらしい。まだ花火があがっていない段階から。しかも興味深いことに、秋から春にかけてはこんな行動はしない。夏場限定なのだ。さらに夏に山の家に行っても、怯えることはない。
ということは、季節と場所をちゃんと認識して、花火の音が聞こえてくる可能性を考えて、予測していることになる。
私は
富士丸と暮らしている頃から「犬は今を生きる」という説に懐疑的だったが、犬もしっかり未来を予測できるという例である。過去に訪れた場所や、会ったことのある人をちゃんと記憶していることから、過去もある。ただ、過去については相当古いことでも記憶しているが(福ちゃんは3カ月で忘れる珍しいタイプ)、未来についてはすごく近い将来くらいしか認識していないのではないかと思う。
別の例でいえば、山の家に行くときに一眼レフのバッテリーをバッグに入れるが、福助の脳内ではそれを山の家と結びつけており、私がバッテリーを手にすると「もしかして、山?」という期待顔をする。というように、犬は体験や記憶と結びつけて、未来を予測できる。つまり、学習しているのだ。
そこで疑問なのは、音に恐怖を感じるのはまだ分かるが、これまで何度も雷や花火に怯えてきた中で、結局何も実害はなく、ただ大きい音が聞こえただけ、という事実はどうして学ばないのだろう。また、同じ環境で育った福助は雷と花火が平気なのは、何が違うのだろう。大吉は自分が恐怖に震えている横で平然と寝ている福助を見て、どう思っているのだろう。
11年一緒に暮らしてきて、だいたい何を考えているか分かるようになったが、そこは全然分からない。まぁ、分からないことがあるくらいの方がいいか。
プロフィール
穴澤 賢(あなざわ まさる)
1971年大阪生まれ。2005年、愛犬との日常をつづったブログ「富士丸な日々」が話題となり、その後エッセイやコラムを執筆するようになる。著書に『ひとりと一匹』(小学館文庫)、自ら選曲したコンピレーションアルバムとエッセイをまとめたCDブック『Another Side Of Music』(ワーナーミュージック・ジャパン)、愛犬の死から一年後の心境を語った『またね、富士丸。』(世界文化社)、本連載をまとめた『また、犬と暮らして』(世界文化社)などがある。2015年、長年犬と暮らした経験から
「DeLoreans」というブランドを立ち上げる。
ブログ「Another Days」
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大吉(2011年8月17日生まれ・オス)
茨城県で放し飼いの白い犬(父)とある家庭の茶色い犬(母)の間に生まれる。飼い主募集サイトを経て穴澤家へ。敬語を話す小学生のように妙に大人びた性格。雷と花火と暴走族が苦手。せっかく海の近くに引っ越したのに、海も砂浜もそんなに好きではないもよう。
福助(2014年1月11日生まれ・オス)
千葉県の施設から保護団体を経て穴澤家へ。捕獲されたときのトラウマから当初は人間を怖がり逃げまどっていたが、約2カ月ほどでただの破壊王へ。ついでにデブになる。運動神経はかなりいいので、家では「動けるデブ」と呼ばれている。