先代犬の「富士丸」と犬との暮らしと別れを経験したライターの穴澤賢が、
数年を経て現在は「大吉」と「福助」(どちらもミックス)との暮らしで
感じた何気ないことを語ります。
少し前に1通のメールが届いた。差出人のご夫婦は今年、愛犬を亡くされたそうでひどい「ペットロス」になったという。そんなときに拙著『またね、富士丸。(集英社文庫)』を知り、読んでみて「私と同じようになった人がいるんだ」と共感し、ちょっとだけ気持ちが楽になった、できればもう少し詳しく聞きたいことがあるので教えてほしいという内容だった。
ペットロス体験は一人ひとり違う
さて、困った。あとがきにも書いているが、あの本は誰かの救いになればなんて思って書いていないし、当時はそんな心の余裕なんて一切なかった。ではなぜ書いたのかというと、師と仰いでいた先輩ライターがいて、その人が勝手に出版社と話を決めてきて「書け」と言われたからだ。
はじめは「そんなの書けませんよ」と断ったが「いいから書け。お前ライターなんだろう? だったらどんなに悲しくてもそれを書くんだ」と言われたから仕方なく毎日涙をボロボロこぼしながら書いたのであって、苦行でしかなかった(先輩には感謝しているけど)。
振り返るとあの本だけ文体が少し違うし、本当に書けなかったのか普段はほとんど使わない体言止めを連発している箇所もある。だからあの本を宣伝する気持ちなんてないし、当時から「別に読まなくていいですよ」と公言していた。
けれど出版してからしばらくすると同じ経験をした方からちょっと救われましたみたいな手紙がちらほら届いて、正直驚いたりしていた。そんなこと言われても「そうですか」としか言えない。それから数年経って、あの、まさにどん底にいるときに書いてよかったのかなとぼんやり思うようになった。
「ペットロス」といっても症状は人ぞれぞれだと思う。犬との関係もそれぞれだし、別れの時期、家族構成、背景もみんな違うからだ。
私の場合でいえば、ひとりと1頭で暮らす中で
富士丸のために山へ移住することを決意し、半年以上かけてあちこち物件を探し、ようやく見つけた土地を買うことになり、その契約前夜に帰宅すると息絶えていた。定期的に受けていた健康診断にも異常はなく、夕方出かける前までは普通だったのに、というあり得ないほどの悪夢で、それが現実に起きた。
ただ、それから15年経ち、今では大吉と福助と山で暮らし、見事に復活はしている。そんな私に何かアドバイスできることがあるだろうか。たぶん、ない。傷や悲しみの深さも人それぞれだと思うからだ。私もそうだったが、誰のどんな救いの手も届かない奈落の底まで落ちていた。
それでも“経験者”として伝えられること
それでも、経験者として私の「考え」はある。それが少しでも参考になれば。そう思い直して返事を書いた。いい機会なので、どんなことを伝えたようとしたか、概要を書いておこうかと思う。
まず1つ、新たな犬を迎えたいと思ったとき、どこからか先代犬への罪悪感が湧いてくる。新たな犬と暮らすと、先代犬との記憶や愛情が薄らいでいくのではないだろうか、という不安も頭をよぎる。断言するが、これは杞憂に終わる。
現に私がそうだが、富士丸との記憶は薄れないし愛情も変わらない。富士丸は特別な存在だったが、大吉と福助という特別な存在が増えただけだ。
もう1つは、「犬を迎えるとまた同じ思いをするのか」という恐怖心だ。これはまだ経験していないが、別れが来ても大吉と福助を迎えなければよかったと思うことは絶対にないだろう。2頭と過ごしてきた時間は何ごとにも代えがたい大切なものになっているからだ。いつか訪れる別れを恐れて迎えていなかったら、この貴重な時間は存在しなかった。
あとは、犬を迎えるのか、そうしないのかは自分で考えて決めればいいと思う。私も富士丸がいなくなったとき、新たな犬を迎えろと助言してくれた人はいたが、とてもそんな気にはなれなかった。大吉と出会ったのは富士丸の死から2年半後だった。
それもうまく説明できないが、『
いつでも里親募集中』で子犬大吉の写真を見て、なぜか「こいつと暮らしたい」と強く思って連絡した。いざ、また犬と暮らし始めたら大吉はもう本当にもうかわいくてね。あ、福助も。
心に決めていたのは「富士丸の面影は追わない」ということくらいで、いつか大吉と福助との別れが来ても、次の犬を迎えるだろう。私は、(富士丸に)犬がいないと生きがいを感じない体質にされてしまったと気が付いたからだ。
なんだかそっけなくて申し訳ないが、それが私の考えだ。もし今、どん底に落ちて出口が見えない状況でも、それはかつて私もいた場所で、そこから復活して今これを書いている。
プロフィール
穴澤 賢(あなざわ まさる)
1971年大阪生まれ。2005年、愛犬との日常をつづったブログ「富士丸な日々」が話題となり、その後エッセイやコラムを執筆するようになる。著書に『ひとりと一匹』(小学館文庫)、自ら選曲したコンピレーションアルバムとエッセイをまとめたCDブック『Another Side Of Music』(ワーナーミュージック・ジャパン)、愛犬の死から一年後の心境を語った『またね、富士丸。』(世界文化社)、本連載をまとめた『また、犬と暮らして』(世界文化社)などがある。2015年、長年犬と暮らした経験から
「DeLoreans」というブランドを立ち上げる。
ブログ「Another Days」
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大吉(2011年8月17日生まれ・オス)
茨城県で放し飼いの白い犬(父)とある家庭の茶色い犬(母)の間に生まれる。飼い主募集サイトを経て穴澤家へ。敬語を話す小学生のように妙に大人びた性格。雷と花火と暴走族が苦手。せっかく海の近くに引っ越したのに、海も砂浜もそんなに好きではないもよう。
福助(2014年1月11日生まれ・オス)
千葉県の施設から保護団体を経て穴澤家へ。捕獲されたときのトラウマから当初は人間を怖がり逃げまどっていたが、約2カ月ほどでただの破壊王へ。ついでにデブになる。運動神経はかなりいいので、家では「動けるデブ」と呼ばれている。