散歩中に立ち止まって談笑している飼い主さんをよく見かける。お互いが連れている犬は仲良く遊んでいたり、暇そうに座って待っていることもあるが、結構長いこと話している。きっと動物病院のこととか、近所の噂とか、情報交換をしているのだろう。けれど私がそういう場に加わることは、ない。
犬連れを見かけたとき、どうする?
いつも散歩している腰越の砂浜は、近所の人だけではなく、どこかから遊びに来た犬連れの人も多くいる。いつもは見かけない犬だからすぐに分かる。そういう犬は、たいてい海と砂浜にテンションがあがってはしゃいでいる。
飼い主も犬連れを見つけると、遊び相手になるかもとこちらに興味を示したり、近づいてくるのを待っていたりする。そういうとき、私は進路を変えてなるべく関わらないようにする。それはなぜか。
犬連れを避ける理由は?
たしかに私は人見知りだ。しかし大人だからいつも会う顔見知りの人とはあいさつくらいするし、大吉もフレンドリーに犬と挨拶できる。飼い主にもしっぽを振って愛想を振りまいたりする。原因は、福助なのだ。イヌミシラーだからではない。今ではけんかごしに威かくすることもほとんどない。
問題は「ウンチモード」だ。以前にも書いたことがあるが、福助のウンチモードはとても繊細だ。大吉はしたかったらするが、福助はウンチモードに入ってからウンチをするまでに一定の時間がかかる。モードに入ったかどうかは、歩くペースが早くなったり、リードを引く力で分かる。
繊細な福助のために
けれどモードは、大きな音がした、人が多い、犬が近づいてきた、など些細なことで解除される。何が気に入らないのか知らないが、散々歩き回ったあげく解除されることもある。長年の経験から、解除されたことも分かる。そういうとき、振り返って「なんで?」という視線を投げかけてくることがあるが、心の底から「知らんわ」と思う。
ウンチしたかったらすればいいだけなのに、なぜ前段階があり、場所、風景、その他諸々の条件が合致したときにするのか、意味が分からない。しかも毎回同じ場所ではないから、彼の中での条件が揃うのをひたすら待つしかない。そのため、福助がモードに入ると私は心を無にして、引っ張られるままただ後を付いていく。
福助の気持ちが知りたい
やっかいなのは、一旦解除されてしまうと、なかなか再びモードに入らないこと。朝の散歩で解除されて、そのまま夕方までしないなんてことはざらにある。そうなると、こっちまでモヤモヤが残る。「他人の残尿感」とでもいうか、「本当はしたいのに、がまんしてるのかな」と気になって仕方ない。ウンチモードがある犬と暮らす人は、この気持ちが分かるのではないかと思う。
だから、できればちゃんとウンチをしてもらいたい。そのため、モードの障壁となるものは避けたい。従って、散歩中に談笑することもないし、知らない犬が来たら関わりを避けている。きっと相手から見たら、避けているようで感じ悪いだろうな。断っておくが、それは決して私の意思ではない。でも実際に近寄って理由を伝える機会もないから、結局私が感じ悪くなってしまう。まぁ仕方ないか。
プロフィール
穴澤 賢(あなざわ まさる)
1971年大阪生まれ。2005年、愛犬との日常をつづったブログ「富士丸な日々」が話題となり、その後エッセイやコラムを執筆するようになる。著書に『ひとりと一匹』(小学館文庫)、自ら選曲したコンピレーションアルバムとエッセイをまとめたCDブック『Another Side Of Music』(ワーナーミュージック・ジャパン)、愛犬の死から一年後の心境を語った『またね、富士丸。』(世界文化社)、本連載をまとめた『また、犬と暮らして』(世界文化社)などがある。2015年、長年犬と暮らした経験から
「DeLoreans」というブランドを立ち上げる。
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大吉(2011年8月17日生まれ・オス)
茨城県で放し飼いの白い犬(父)とある家庭の茶色い犬(母)の間に生まれる。飼い主募集サイトを経て穴澤家へ。敬語を話す小学生のように妙に大人びた性格。雷と花火と暴走族が苦手。せっかく海の近くに引っ越したのに、海も砂浜もそんなに好きではないもよう。
福助(2014年1月11日生まれ・オス)
千葉県の施設から保護団体を経て穴澤家へ。捕獲されたときのトラウマから当初は人間を怖がり逃げまどっていたが、約2カ月ほどでただの破壊王へ。ついでにデブになる。運動神経はかなりいいので、家では「動けるデブ」と呼ばれている。