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「愛犬」という言葉を使えば、みんな愛犬家なのか|連載・西川文二の「犬ってホントは」vol.49
今回は、西川先生が「愛犬」という言葉を使いたくない理由について。丁寧な言い方として、世間では当たり前のように使われている「愛犬」という言葉ですが、なぜ西川先生は異を唱えるのでしょうか。世間が言っているから使いたくない!というひねくれ者なわけではなく、犬にまつわる時代背景も関係しているようです(編集部)
百貨店にショップを構えていた頃は、11月1日に向けて犬の日企画と称し、棚替えや催しを行っていました。
さて、いぬのきもちWEB MAGAZINEも、犬の日企画が進行中です。
コラムの方も、」「#スマイルドッグ 愛犬へありがとうを叫ぼう」というテーマでひとつ、と依頼を受けました。
すでにそちらはアップされているわけですが、コラム冒頭で「愛犬という言葉が好きではない」と記しておりまして、今回の本コラムはその好きではない理由を語らせていただこうかと、思う次第です。
犬を愛しているわけでもないのに……?
ブリーディングがらみの儲け話のもつれから、の殺人事件などです。
加害者が愛犬家なのか、被害者が愛犬家なのか、それともどちらも愛犬家だったのか。
いずれにしても金に目がくらんだりしての事件なわけで、事件の当事者たちは犬を愛してやまない人ではなく、言うなれば金を愛する「愛金家」たちです。
この一連の事件がきっかけだからでしょうか、愛犬家という言葉には嘘っぽさ、虚構感がつきまとう。
「愛犬」という言葉は、愛犬家という言葉と近しい存在。
連想ゲームではないのですが、どうも愛犬という言葉にも、私は嘘っぽさを感じてしまうわけです。
昔は輝いていたが、今は色あせた言葉
「日本における犬質の向上、文化の定着を目指し・・・」という編集方針のもと、1952年に創刊された犬の雑誌です。
「ぶんちゃんちにおじゃますると、犬がいたんでビックリした」と、今でもクラス会で言われます。1967〜68年の頃の話です。当時は室内犬が珍しかった、希少価値があった、ということです。
「希少価値がある=大切に扱うべき存在」、そういった対象に愛をつける。ある意味「愛犬」という言葉は、高度成長期まではキラキラした輝きを放っていたのでしょう。
でもやがてその言葉は使い古され、輝きを失い、色あせ、使われなくなる。
愛がつく言葉にはそうしたものが多いように感じます。
愛車しかり。愛妻なんていう言葉も、そうなのかも知れません。
かつて愛妻号なんていう名前の洗濯機もあったくらいですから。
かつては、キラキラしていたのでしょう。
おざなりな使われ方
紹介する方は、飼い主が本当にその犬を愛しているのか、犬は本当にその人に愛されているかなどを、確認などしているわけではありません。
場合によっては、主従関係を重要視する体罰も辞さない昔ながらの接し方をしているかもしれない、のにです(そうした接し方が当たり前の時代にキラキラしていた言葉ともいえるのですが「愛犬」は)。
でもとりあえずそう紹介すればいい。なんとなく昔からそうだから、その方が何も考えず済むから。要はおざなりに使っているにすぎない。そう感じるわけです。
はたしてそこに、愛は感じられるのでしょうか?
嘘っぽく、色あせた、おざなりな言葉。
まぁ以上が「愛犬」という言葉を、私が好きではない理由です。
さて、これまで私の犬を誰かが紹介する時には愛犬という表示を甘んじて受け入れることもありましたが、これを機に今後はすべて、「パートナー・ドッグ」へと訂正願うことにいたします。
文字数は4.5倍に増えてしまいますけどね。
写真/Can ! Do ! Pet Dog School提供
https://cando4115.com/index.html
西川文二氏 プロフィール
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