犬が好き
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日々感じる「犬っていいよね」|連載・西川文二の「犬ってホントは」vol.80
しつけのトレーニングをする目的は、困った行動に振り回されず、愛犬と楽しく穏やかな日々を送るためでもあります。西川先生もいち飼い主として日々トレーニングを実践中。そのうえで「犬っていいよね」「かわいいよね」と心から感じるのはどんなときかを語ります(編集部)。
全身を覆っている被毛に触れ、優しくなでているだけで何となく安らかな気分になります。
犬を気持ちよくできる触り方を体得できていれば、犬はまぶたが重くなったような顔つきになり、目を細めていきます。
そこにはまるで遊び疲れた幼児がウトウトとして、はっと起き、またウトウトし始める姿を見ているときのような、ほのぼのとした楽しさがあります。
私のパートナー・ドッグの1頭「ダップ」は、ぬいぐるみやボールなどのおもちゃを投げるとダッシュし、私がその場を動かなければ、そのおもちゃをくわえて持ってきます。引っ張りっこをしてくれ、あるいはまた投げてくれ、と言わんばかりにです。
いたずらっ子の仕草を見るような愉快さ
私がスピードを上げると、彼は私がスピードを上げたことを足音で感じ取るのでしょう。彼もスピードアップするのです。私がスピードを落とすと、彼もスピードを落とします。捕まらないギリギリの距離を維持するのです。
私が追いかけるのをやめると、彼は少し離れた位置でぬいぐるみをくわえたまま、私の方を向いて止まります。そして私が追いかけ始めるのを彼は、じっと待つのです。
そのしぐさには、いたずらっ子が「取れるものなら取ってみな!」と誘っているような、そんな愉快さがあります。
幼児の愛らしさを見るような、ほのぼのとした時間
くわえて逃げようとすると、自分の足でぬいぐるみを何度も踏んでしまうのです。
捕まえようとすれば、捕まえられるのですが、私はあえて捕まえることはしません。
幼児に付き合って遊んであげるのと同じ。もちろん、それでおしまいにしてしまえば、なんでも口にして逃げ回るだけのやっかいな犬になってしまいます。
そうした犬にしないために、「オイデ」の合図でそばに来る、「マテ」の合図でその場に止まる、「チョウダイ」の合図でくわえているものを離す、そうしたトレーニングが不可欠となります。
適切な教育・しつけがなされているとは、そういうことです。
しぐさを見ているだけで楽しい。犬と暮らすとはそういうこと
蓋を取った密閉容器を机に置き、封を切った袋からドライフードをザザザと、その容器の中に落としていきます。すると、彼は首をかしげ机の下の地面を見つめるのです。
これもまた見ているだけで、微笑ましくおかしい。
このしぐさ、自己認識ができていない3歳に満たない幼児が鏡台に映った自らの姿を見て鏡台の後ろに回って誰かいるのではないかと確認する、そのしぐさになんとなく似ているようにも感じる。
動物の行動を研究している心理学者たちは、言います。「犬の知能は人間の2歳半ぐらいなのではないか」と。全くその通りなのです。彼らは幼児そのものなのです。
「たかしやま」「たかしやま」と、私の長男が口にしていた時期がありました。何を言っているのかというと百貨店の「高島屋」のことだったのです。それがわかったときのおかしさ。今でも昨日のことのように思い起こされます。
当然ですが長男は成長に伴いそうした幼児ならではのおかしなしぐさや発語はなくなっていきました。でも、犬はずっと、幼児のようなかわいらしいしぐさを見せ続けてくれる、のです。
しぐさを見ているだけで、微笑ましく楽しい。それが、犬と暮らすということなのです。
写真/Can ! Do ! Pet Dog School提供
https://cando4115.com/index.html
西川文二氏 プロフィール
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