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別れを経験した者として【穴澤賢の犬のはなし】

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別れを経験した者として

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昨年はペットの火葬に2度立ち会った。一件は嫁の親戚の犬で、もう一件は友人の愛猫。どちらも高齢で、長らく体調を崩していた末、家族に見守られて息を引き取った。親戚の犬は数回、友人の猫にいたってはしょっちゅう会っていたので、知らせを聞いて火葬場へ向かった。

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どちらのときもそうだったが、ある程度心の準備ができていたとはいえ、悲しみの中でしっかりと最期を見送る飼い主の姿に「しっかりしてるなぁ」と感じた。自分のときを振り返ろうにも、ほとんど記憶がない。なぜなら、ひとりではまっすぐ歩けないほど泥酔しており、まともな判断力もなく、火葬場の手配から何からすべてを人任せにしていたからだ。見送るどころか、富士丸との最期の別れすら覚えていない。我ながら、ひどい有様だったと思う。

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火葬場の待合室で、友人が言った。「あのときの様子を見て相当きついだろうなと思ったけど、今回うちの猫が亡くなって、もしこれがひとり暮らしで、家族もほかの猫もいなくて、しかも突然だったらって想像すると、俺だってヤバかったかもしれない」。たしかに富士丸は7才半で昼まで元気だったのが、5時間半ほど家を開けて帰ったら息をしていなかったという、考えられる中で最悪のケースだったので、その衝撃はもの凄かった。大袈裟ではなく「壊れた」状態になってしまった。

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突然だろうが、覚悟ができていようが、いずれにしても長年いっしょに暮らしていた最愛の存在がいなくなったときの喪失感は、そう簡単に埋まるようなものではないだろう。個人的に嫌だったのが、体が勝手に動いてしまうことだった。当時は1DKの部屋で暮らしていたのだが、パソコンを置いていたダイニングからトイレに向かうときに、いつも富士丸がいたソファーに無意識に首が動いてしまうのだ。長年そうしてきたから、一連の動作を体が覚えてしまっていたのだろう。その度に「あぁ、いないんだった」と思う。それがすごく辛かった。

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そして強く思ったのが、「もう一度だけでいいから、あいつに触れたい」ということだった。会いたいではなく、触れたい。小説家の馳星周さんも、愛犬ワルテルを亡くした後に「触れたい」とブログに書かれていたので、やっぱりみんなそう感じるんだなと思った。ちなみに富士丸が亡くなって5年経つ今もその気持ちはあるが、あのころの痛切な思いとはまた違うものになった。

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ありきたりになるが、心にできた穴は時間が癒してくれるとしかいいようがない。経験者がそういうのだから信用してもらいたい。あとひとついえるのは「もっとこうすればよかった、ああすればよかった」という思いは、どこまでやったとしてもなくならない。といいつつ、大吉と福助にはできる限りのことをしてやるつもりだが。

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穏やかな大吉の表情や、まだまだやんちゃな福助を見ていると忘れそうになるが、彼らともいつか別れの日が来るのだろう。そのことを頭の片隅に置いておくようにしている。富士丸がいなくなることなど想像もしていなかった(できなかった)あのころと比べると、少しは成長したのかもしれない。

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とはいえ、そんな日は相当先にしてもらいたい。最低でもあと10年以上。それから、いきなりもやめてもらいたい。今度は心の準備をさせてほしい、ちょっとくらい病気になってもいいから。いや、やっぱり怪我も病気もしないでもらいたい。

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