先代犬の「富士丸」と犬との暮らしと別れを経験したライターの穴澤賢が、
数年を経て現在は「大吉」と「福助」(どちらもミックス)との暮らしで
感じた何気ないことを語ります。
昔から幽霊、心霊体験、怪談、妖怪、お化けといった類の話がある。古くから語り継がれてきたものもあれば、実際に体験した人の話もある。私が小学生のころは心霊写真の特集番組があったりしたので、「怖い……」と思いながらも密かに楽しんで見ていた記憶がある。本当にいるのかどうか分からない、まったく信じない人がいる一方で、信じている人もいる、という曖昧な世界だ。
信じる・信じないのスタンス
私はどういうスタンスかといえば、基本的には「そっち系」の話は信じていない。心霊写真のようにある条件が揃えば再現できたりすることに関しては、かなり否定的だ。ただ、中にはよく分からないこともあるよね、という余白はある(肯定しているわけではなく分からないことは分からないから)。今回はそんな私が常々感じていた疑問について語ってみたい。
まず「幽霊」とは何なのか。よく霊能者といわれる人が「見える」というが、それはいったい何を見ているのか。特徴や特定の人物を指している場合、「それ」は人の形をしていることになる。
彼らが主張するように、肉体が滅びても「魂」や「怨念」のようなものが残るというのであれば、火の玉や煙(エクトプラズム)のようにもっと「ふわふわしたモノ」なのではないか。人の形をしている必要はない、肉体はもうないんだから。百歩譲って、魂が生前の姿を「再現」しているとしよう。火の玉みたいだと「見た人」が誰だか分からないからね。
そこまでは譲るとしても、大きな疑問が残る。それは、なぜ幽霊は服を着ているのか、ということだ。軍人の霊はなぜ軍服を着ているのか(見た人の話によれば)。そのほかの幽霊たちもなぜ服を着ているのか。ここはなぜか完全スルーされているが、よく考えればおかしな話だ。個人が特定できればいいのであれば顔が重要で、体は全裸でいいはずだが、なぜ服まで「再現」する必要があるのか。恥ずかしいから? 違う意味で怖がられるから?
さらに、もし仮に死んでも魂が残るのであれば、そこら中幽霊だらけになるはずだが、そういうことにはなっていない。幽霊になって現れるのは「この世でやり残したことがあるからだ」という説もあるが、誰にだってやり残したことくらいはある。
動物の幽霊はいないのか?
もっといえば魂が残るのは人間だけなのか? そんなはずはないだろう。動物や魚類や昆虫や微生物にも魂があり、肉体が滅びても残るのであれば、おびただしい幽霊の数になる。彼らにも彼らなりにやり残したと思っていることの1つや2つはあるだろうし。でも魚や昆虫の幽霊の話は聞かない。
妖怪の部類でいえば、狐や化け猫の話はあるが、なぜか犬はいない。狐や猫は化けて出るが、犬は化けて出ない? それもおかしな話ではないか。
以上のように疑問に思うことは数々あるが、この手の話を完全否定しているわけではない。叶うことなら私もこの目で見たいと思っている。人間の幽霊は断るが、犬の幽霊なら大歓迎する。富士丸が幽霊になって現れてくれたなら、どれだけ嬉しいか。化けて出てもまったく怖くない。ワシャワシャしてやる。
きっと愛犬を亡くした人は、そう思っているのではないだろうか。かつて一緒の時間を過ごした犬と、幽霊でもいいからもう一度会いたいと。
でも今のところ、富士丸の幽霊は現れていない。結局のところ幽霊がいようがいまいがどっちでもいいが、そこだけは残念に思う。
プロフィール
穴澤 賢(あなざわ まさる)
1971年大阪生まれ。2005年、愛犬との日常をつづったブログ「富士丸な日々」が話題となり、その後エッセイやコラムを執筆するようになる。著書に『ひとりと一匹』(小学館文庫)、自ら選曲したコンピレーションアルバムとエッセイをまとめたCDブック『Another Side Of Music』(ワーナーミュージック・ジャパン)、愛犬の死から一年後の心境を語った『またね、富士丸。』(世界文化社)、本連載をまとめた『また、犬と暮らして』(世界文化社)などがある。2015年、長年犬と暮らした経験から
「DeLoreans」というブランドを立ち上げる。
ブログ「Another Days」
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大吉(2011年8月17日生まれ・オス)
茨城県で放し飼いの白い犬(父)とある家庭の茶色い犬(母)の間に生まれる。飼い主募集サイトを経て穴澤家へ。敬語を話す小学生のように妙に大人びた性格。雷と花火と暴走族が苦手。せっかく海の近くに引っ越したのに、海も砂浜もそんなに好きではないもよう。
福助(2014年1月11日生まれ・オス)
千葉県の施設から保護団体を経て穴澤家へ。捕獲されたときのトラウマから当初は人間を怖がり逃げまどっていたが、約2カ月ほどでただの破壊王へ。ついでにデブになる。運動神経はかなりいいので、家では「動けるデブ」と呼ばれている。