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<特別編> 夢の実現と予想外のアクシデント(2)【穴澤賢の犬のはなし】

「いぬのきもち WEB MAGAZINE」の連載『穴澤賢の犬のはなし』から記事を抜粋し書籍化された『犬の笑顔が見たいから』(世界文化社刊)が発売されました。
この書籍では、穴澤賢さんの夢であった「山の家」を手に入れて環境を整えるための話が収録されています。そしてもう1つ、山の家での生活が始まった2018年3月に穴澤賢さんは生命に関わる大きな事故に遭遇しました。
一時は命さえも危ぶまれたこの事故と、その後の奇跡的な復活、愛犬と再会したエピソードを、書籍『犬の笑顔が見たいから』より抜粋して3回にわたってお届けします。

緊急手術が始まった

朝9時、手術がはじまった。
後頭部の骨を削り、血の塊を摘出する大手術だった。結果を待つ間に、話を聞いた都内に暮らす友人たちも次々に病院へ駆けつけて来た。
開始から4時間ほど経過した13時すぎに手術が終了し、医師から出血場所をふさぎ、峠は越えたと説明があった。
妻は術後の私と対面したが、麻酔の影響で意識はなかった。しかし目は開いており、白目までがむくんでいる状態で、どこも見ていなかった。
助かったことに少しだけ安堵した妻はいったん帰宅する。大吉と福助が心配だったからだ。編集者たちは家に残っていてくれたし、幸い事情を聞いた妻の両親が朝に駆けつけて世話をしてくれていた。
妻が帰宅すると、驚いたことに朝一番で知らせを聞いた私の父親が大阪から到着していた。手術が成功し、何とか命を取り留めたことを伝え、その日は自宅に泊まることになった。

手術後の説明で

そして翌朝、妻は親父と病院を訪れる。
ふたりは手術をした医師に呼ばれ、説明を受けた。
術後のCTでは、手術で切り取った右後頭部の頭蓋骨の一部がなくなっていたが、首の筋肉があるからなくても問題ないとのこと。手術前にあった血の塊は消えていた。
その席で「旦那さんはどんな職業をされていますか?」と医師に聞かれたという。妻はライターと小さな会社を経営していると答えた。
すると「おそらく、ライター業の復帰は難しいと思います」と言われた。なぜなら今回の怪我で左脳の脳挫傷があるので文章を書くのが困難になる可能性が高いこと、他にも言語や運動に何らかの後遺症が残るかもしれないから、仕事に支障をきたすかもしれないことなどを告げられた。
術後の私は集中治療室で人工呼吸器をつけた状態だった。相変わらず意識もほとんどなく、ときおり目を動かす程度だった。私は親父を見て一瞬だけ驚いた顔をしたかと思うと、すぐにまた意識を失ったという。親父は私の容態が想像以上に悪かったことに困惑する。
妻は勤める会社に事情を説明し、しばらく休むことにした。私の仕事関係の人たちに事情を説明したり、友人たちに連絡したりと奔走した。夜に私は、妻の呼びかけに少しだけ 頷いた。
次の日には目を動かして少しずつ意思表示をするようになるが、人工呼吸器のため会話もできない状態だった。

意識の回復、だが。

人工呼吸器が外れたのが、手術から2日後の19日だった。
妻が病室に入ると、私の意識はあったが、突然子どものような口調で話し出したという。これは妻がメモに残していた、そのときの会話だ。
「ここどこ?」
「病院だよ」
「いつからいるの?」
「一昨日からだよ」
「何日目?」
「2日目だよ」
「明日帰れる?」
「帰れないよ」
「なんでこうなったの?」
「階段から落ちたんだよ」
「いつ?」
「16日の夜だよ」
「学校に行く前に?」
このときの自分の頭の状態が分からない。意識は子ども時代に戻っているようだが、妻が誰であるかは認識しているらしかった。であれば、記憶をつかさどる海馬は動いていたのかもしれないが「今の自分」はどこにいたのだろう。
手術直後はそんな状態だった。現実も把握できていなければ、何も正常に判断できていない。
この後も、話すことはほとんど意味不明で、すぐにあちこちへ飛んだという。口調が子どもだったかと思いきや、急に大人に戻ったり、大阪にいるつもりになったり、過去の仕事のことを話したり。話がコロコロ変わったと思いきや、いきなり「疲れた」と言って眠る。 医学的な詳しいことは分からないが、おそらく脳がまともに機能していなかったのだろう。
しかし20日に点滴を外したとき、私は真顔になってぼそっと「大吉と福ちゃんは元気? あいつらが元気ならそれでいい」と言ったらしい。

快復に向かう中でのトラブル

手術から4日後の21日には、個室から一般病棟に移動することになる。
頭は包帯でぐるぐる巻きだが、車椅子でトイレに行ったり、少しずつ話せるようになっていた。後になって分かったことだが、転落したときに肋骨を数箇所骨折していたが、このときは気づいてもいなかった。
話せるようにはなったが、意識は非常に怪しく、子どもっぽい口調になったかと思うと、大人に戻ったり、話すことも支離滅裂だったという。
友人がたくさん見舞いに来てくれたが、顔は覚えているのに名前が出てこなかったり、呂律が怪しかったりしたそうだ。
それだけではなく、次第に行動にも異常さが現れてくる。
最初は22日だった。夜、勝手に病室から抜け出して、病院内を徘徊する。それが看護師さんに見つかり、自由に動けないようベッドに手足を縛られた。しかし縛られている紐をほどこうとするため、両手にはミトンというグローブのようなものをはめられる。凶暴なわけではないが、とにかく病院から出たいらしく、妻や見舞いに来た人にも「これをほどいて」とお願いして困らせていたらしい。

何度も脱走しようとし

常にそういう状態ではなく、普通に会話ができるときもあった。しかし話している相手のことは記憶にあるようだが、話は相変わらずあちこち飛んで相手を戸惑わせた。
そして夜になると、口でどうにかミトンを取り、点滴の針も自分で抜きとり、血を垂らしながら逃げようとして、その度に見つかっている。
妻は毎日病院へ来てくれていたが、会うと「家に帰りたい」、「大吉と福ちゃんに会いたい」、「一時間だけでいいから帰らせて、そしたらまたここに戻るから」と頼んで困らせる。悪い けどそれはできないと言われると「なんでだよ!」と怒る。頭が包帯ぐるぐるの奴が、滅茶苦茶である。24日の時点で、まだそんな状態だった。
ひどいときにはベッドに縛られたまま逃げようと暴れて、両腕はアザだらけになった。言い訳するわけではないが、このころの記憶が一切ない。そもそも私は基本的にそんなに分からず屋でも、粗暴な性格でもない、と思う。
脳にダメージを受けると、そんなに人格は変わるのだろうか。おそらく理性を司る大脳皮質がきちんと機能していなかったのではないだろうか。だから状況を考えず、自分の欲求ばかりを主張する。それが私の本質なのだろうか。何を考えていたかも思い出せないのが恐ろしい。
※書籍『犬の笑顔が見たいから』より抜粋し、表記などを「いぬのきもち WEB MAGAZINE」に合わせて一部修正しました。



プロフィール
穴澤 賢(あなざわ まさる)
1971年大阪生まれ。2005年、愛犬との日常をつづったブログ「富士丸な日々」が話題となり、その後エッセイやコラムを執筆するようになる。著書に『ひとりと一匹』(小学館文庫)、自ら選曲したコンピレーションアルバムとエッセイをまとめたCDブック『Another Side Of Music』(ワーナーミュージック・ジャパン)、愛犬の死から一年後の心境を語った『またね、富士丸。』(世界文化社)、本連載をまとめた『また、犬と暮らして』(世界文化社)などがある。2015年、長年犬と暮らした経験から「DeLoreans」というブランドを立ち上げる。

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大吉(2011年8月17日生まれ・オス)
茨城県で放し飼いの白い犬(父)とある家庭の茶色い犬(母)の間に生まれる。飼い主募集サイトを経て穴澤家へ。敬語を話す小学生のように妙に大人びた性格。雷と花火と暴走族が苦手。せっかく海の近くに引っ越したのに、海も砂浜もそんなに好きではないもよう。

福助(2014年1月11日生まれ・オス)
千葉県の施設から保護団体を経て穴澤家へ。捕獲されたときのトラウマから当初は人間を怖がり逃げまどっていたが、約2カ月ほどでただの破壊王へ。ついでにデブになる。運動神経はかなりいいので、家では「動けるデブ」と呼ばれている。
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