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<特別編> 夢の実現と予想外のアクシデント(3)【穴澤賢の犬のはなし】

「いぬのきもち WEB MAGAZINE」の連載『穴澤賢の犬のはなし』から記事を抜粋し書籍化された『犬の笑顔が見たいから』(世界文化社刊)が発売されました。
この書籍では、穴澤賢さんの夢であった「山の家」を手に入れて環境を整えるための話が収録されています。そしてもう1つ、山の家での生活が始まった2018年3月に穴澤賢さんは生命に関わる大きな事故に遭遇しました。
一時は命さえも危ぶまれたこの事故と、その後の奇跡的な復活、愛犬と再会したエピソードを、書籍『犬の笑顔が見たいから』より抜粋して3回にわたってお届けします。

退院の日を迎える

2018年3月16日の深夜に自宅の階段から落ち、緊急手術からの入院生活が続いて約3週間。
4月6日に退院した。
今回の怪我で「死にかけた」といっていいだろう。担ぎ込まれたときの小脳の出血が止まらなければ手術しても無駄だったし、手術が成功する確率も60%、命を取り留めても後遺症が残ると言われていたのに。なぜ助かったのか、理由は分からない。ひとつハッキリしているのは、三途の川らしきものを見ていないことだ。
生死をさまよった人は、三途の川のほとりに立ったり、向こう岸に亡くなったはずの親しい人がいて、引き返すように言われたという話をよく聞く。しかし今回、川も見ていなければ、誰にも会っていない。それは脳が見せる錯覚なのかもしれないが、そういうときに錯覚でもいいから会いたいと思っていた奴がいたのに。
よく九死に一生を得た人は人生観が変わると聞く。けれども私には、そんなことは起きていない。怪我をしたときのことも、危ないときの記憶も何もない。

死ななくてよかった

こういう経験をしたのに価値観が変わらないのは、なんだか残念な気もする。でも妻をはじめ、たくさんの人に心配をかけたのは申し訳なかった。
死んだ本人よりも辛いのは残された方だと、私は思っている。死んだ本人も無念かもしれないが、意識がないから感じようがない。それより、残された方がたまらない。いくら帰って来て欲しいと願っても叶うことはない。そういう意味で、助かって良かったというより、死ななくて良かったと思う。

退院してからの異変

思いがけない怪我で3週間の入院生活を送ったわけだが、そんなに長い間病院にいるのは初めての経験だった。怪我から考えるとよくその程度で退院できたと思うが、大福と暮らしてからそんなに家を空けたことはなかった。
私がいない間、彼らはいったいどんな様子だったのだろう。
妻に聞くと、どこか寂しそうにしていたらしい。私が病室で着ていた服を洗濯するため家に持ち帰ったとき、大吉がしきりに匂いをかいでいたそうだ。

大福との再会

退院して久しぶりに家に帰るタクシーの中で、早く会いたい気持ちでいっぱいだったが、きっと大吉と福助も歓喜の雄叫びを上げるのではないかと思っていた。しかし玄関を入ると喜んではくれるのだが、ふたりともそれほどテンションが高くない。どこかよそよそしいのだ。けれど久々に触れた彼らの体は相変わらずモフモフでほんのり温かく、ホッとした。
入院生活で、私の体力はかなり落ちていた。少し歩くと疲れるのだ。歩いていても時々ふらふらする。人間というのは3週間寝ているだけでこれほどまで体力がなくなるのかと驚いた。

愛犬たちの気遣い?

退院翌朝の散歩にも、ひとりで行ける自信がなかった。そのため、数日は妻にも付き合ってもらうことにした。頼りなく歩く私が心配なのか、大福はちょくちょく振り返っていた。
彼らの歩き方も、人を気遣うような感じがあった。疲れた顔を見せないよう心がけたが、以前のように彼らが散歩中にはしゃぐこともなかった。
1週間もすると、ひとりで散歩に行けるくらい体力は回復したが、なぜか便秘ぎみだった福助が退院後に快便になっていた。 
昔から、いつもあっさりウンチをする大吉とは対照的に、福助はなかなかしなかった。
彼には「ウンチモード」があり、もよおしているときは少し早歩きになる。これがまた繊細で、前からよその犬が歩いてきたり、大きな音がしたりするとウンチモードが解除される。何度もウンチングスタイルになったのに「何かが違う」という顔をして結局しないこともある。本当はしたいのに我慢しているのかと思うと不憫で、いったん大吉を家に置いて、福助だけ2回目の散歩に行くことが以前はよくあった。
しかし退院後は、毎回1回目でしてくれるのだ。妻に入院中はどうだったか聞くと、ずっとそうだったという。体力的に2回行くのはまだきつかったので、「ウンチしそうでしない病」を克服してくれたことに安堵していた。
それ以外でも、ふたりとも妙に大人しくなっていた。

なかなか消えない違和感

家にいるときも、以前ならオモチャを持って来て「これ引っ張って」とよく大吉に催促されたが、そういう素振りを見せなくなった。バトルを繰り広げることもない。静かにこちらを見ていることが多く、はしゃぐこともない。入院前の自由奔放さがまったくないのだ。
何となく元気がないような気がした。その原因は私にあったのかもしれない。

思い当たることは、退院直後の私は体力も落ちていたが、精神的にも少しおかしかった。
何をしていてもどこかふわふわした感覚があり、以前のように意欲的に動けなかったのだ。
階段から落ちて死にかけたのに、回復したのはありがたいということを頭では理解していても、実感がなかった。
あるときから突然記憶がなく、気がついたら病室だった。どこか狐につままれたような感覚だった。それなのに体力は落ちて、後頭部には大きな傷まである。ひたすら「何がどうなっているんだ」という気持ちだった。
酒は禁止されていたから、晩ご飯を食べたら寝る。若い頃から毎晩晩酌していたのに、それもつまらない。
妻によれば、その頃の私は口数がかなり少なかったという。
おそらくだが、ドーパミンやセロトニンといった脳内物質の分泌量が少なくなっていたのではないかと思う。だから感情の起伏や、安心感みたいなものが薄くなっていたのかもしれない。

違和感を消していく

集中力も続かなくなっていた。仕事しようとパソコンに向かうのだが、1時間もすると、突然眠くなったりした。少し横になると、すぐに眠れる。それで一時間ほど寝ると復活する。そんなことがよくあった。
人と話すのも疲れた。退院祝いで友人たちが家に来てくれたのだが、20分もするとすごく疲れる。友人ともっと話したいのに、言葉が出てこない。きっとまだまだ正常とはいえない状態だったのだろう。
だから「たぶんこれは怪我が原因だろう」と考えて、目の前のやるべきことを少しずつやり、なるべくちゃんと食べて、寝ることだけを意識していた。

戻ってきた大福との日常

きっとそんな姿を大吉と福助は観察していたのだろう。
「見た目と匂いは同じだけど、お前、本物か?」という目で見ていたのかもしれない。それでも朝夕の散歩にはちゃんと行っていたし、暇さえあれば撫でるようにしていた。
そのうち、少しずつだが心が安定してきて、以前のように笑ったり、大福をおちょくったりできるようになっていった。
するとある日、大吉がオモチャをくわえて持ってきて「これ、引っ張れる?」と目で訴えてきた。すぐさま「馬鹿にすんなよ、お前」と引っ張り合いに応じてやった。それが退院から二週間ほど経った頃だった。

いつもと変わらぬ大福のいる生活

それでようやく私が以前と変わらないと分かったのか、目の前で大福がバトルを繰り広げるようになり、賑やかな日常に戻った。
そしてなぜか、その頃からまた福助の「ウンチしそうでしない病」が再発するようになり、
2度目の散歩に行く日が多くなった。そこは復活してくれなくていいのに。
※書籍『犬の笑顔が見たいから』より抜粋し、表記などを「いぬのきもち WEB MAGAZINE」に合わせて一部修正しました。



プロフィール
穴澤 賢(あなざわ まさる)
1971年大阪生まれ。2005年、愛犬との日常をつづったブログ「富士丸な日々」が話題となり、その後エッセイやコラムを執筆するようになる。著書に『ひとりと一匹』(小学館文庫)、自ら選曲したコンピレーションアルバムとエッセイをまとめたCDブック『Another Side Of Music』(ワーナーミュージック・ジャパン)、愛犬の死から一年後の心境を語った『またね、富士丸。』(世界文化社)、本連載をまとめた『また、犬と暮らして』(世界文化社)などがある。2015年、長年犬と暮らした経験から「DeLoreans」というブランドを立ち上げる。

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大吉(2011年8月17日生まれ・オス)
茨城県で放し飼いの白い犬(父)とある家庭の茶色い犬(母)の間に生まれる。飼い主募集サイトを経て穴澤家へ。敬語を話す小学生のように妙に大人びた性格。雷と花火と暴走族が苦手。せっかく海の近くに引っ越したのに、海も砂浜もそんなに好きではないもよう。

福助(2014年1月11日生まれ・オス)
千葉県の施設から保護団体を経て穴澤家へ。捕獲されたときのトラウマから当初は人間を怖がり逃げまどっていたが、約2カ月ほどでただの破壊王へ。ついでにデブになる。運動神経はかなりいいので、家では「動けるデブ」と呼ばれている。
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