かねてから不思議に思うことがある。大福の食への執着心が極端に薄いのだ。一般的な犬のイメージは、ゴハンを待ちわび、与えると秒で完食する。実際にこれまで会った犬たちはそんな感じだった。
食へのこだわりがない?
しかし大吉と福助は、ゴハンを出しても特に喜ばないし、平気で残す。断っておくが、
過去にペット栄養コンサルタントに相談して、しっかりとした手作りゴハンを与えているし(一応、手作りのほかにドライも出しておく)、毎回残すわけではない。残しても後で食べたり「食べたいときに食べる」というように気分に左右されるようなのだ(体重はキープしているから自分で調整しているらしい)。
大吉と福助で取り合うこともなければ、友人の犬が遊びに来て、残してあるゴハンを食べても「好きにして」という顔で怒ることもない。犬にしてはかなり珍しいほうだと思うが、そういえば富士丸もそうだった。なぜわが家に来る犬は食に執着心がなくなるのか。
犬は飼い主に似る?
ちなみに私も食への執着心がないほうだ。もちろんおいしいものは好きだし、料理を練習したりもするが、食べることが「目的」になることはない。例えば有名店のラーメンを食べるためだけにはるばる出かけて並ぶ、なんてことはまずしない。外で友人から「何食べたい?」と聞かれて「なんでもいいかな」と答えることもよくある。けれど、そんなところが犬に伝染するとは考えにくいから、謎だ。
飼い主の思い、大福に届かず
そんな大福だが、山の家に行ったときはごちそうをあげようと、炭火で鶏肉を焼いてやる。ちなみに、トウモロコシとソーセージが人間用で、鶏肉が大福の分だ(人間用はほかにも焼くけど冷ますためにまず大福の分から)。
焼き上がって冷めたら、小さくほぐして完成。味付けはないが、こんなのうまいに決まってる。犬は間違いなくみんな喜んで食べるだろう。大福も最初は食べていた。が、慣れたらしい。特に待ちわびる様子もなく「できたぞー!」と呼んで、やっと来る。
そして、食べ始めるが、がっつくわけではなく、ゆっくりとお上品に召し上がる。で、少し食べたら、大吉は「もういいわ」と残して消えた。
この後、福助も残してベッドへ行ってしまった。わざわざ炭火で焼いてあげたのに。
プロフィール
穴澤 賢(あなざわ まさる)
1971年大阪生まれ。2005年、愛犬との日常をつづったブログ「富士丸な日々」が話題となり、その後エッセイやコラムを執筆するようになる。著書に『ひとりと一匹』(小学館文庫)、自ら選曲したコンピレーションアルバムとエッセイをまとめたCDブック『Another Side Of Music』(ワーナーミュージック・ジャパン)、愛犬の死から一年後の心境を語った『またね、富士丸。』(世界文化社)、本連載をまとめた『また、犬と暮らして』(世界文化社)などがある。2015年、長年犬と暮らした経験から
「DeLoreans」というブランドを立ち上げる。
ブログ「Another Days」
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大吉(2011年8月17日生まれ・オス)
茨城県で放し飼いの白い犬(父)とある家庭の茶色い犬(母)の間に生まれる。飼い主募集サイトを経て穴澤家へ。敬語を話す小学生のように妙に大人びた性格。雷と花火と暴走族が苦手。せっかく海の近くに引っ越したのに、海も砂浜もそんなに好きではないもよう。
福助(2014年1月11日生まれ・オス)
千葉県の施設から保護団体を経て穴澤家へ。捕獲されたときのトラウマから当初は人間を怖がり逃げまどっていたが、約2カ月ほどでただの破壊王へ。ついでにデブになる。運動神経はかなりいいので、家では「動けるデブ」と呼ばれている。