最近、千葉と大阪でイベントがあったのだが、先代犬の「富士丸の頃から読んでます」という人が多くて驚いた。それはそれでありがたいことなのだが、もうひとつ意外だったのが、最近まで知らなかったけど愛犬が亡くなったときにペットロスになり、関連した本を読み漁る中で『またね、富士丸。』を手に取り、救われたという人がちらほらいたことだ。
気持ちを淡々と綴った『またね、富士丸。』
これまで何度も言っている通り、あの本は書きたくて書いたわけではなく、師と仰ぐ先輩ライターが勝手に出版社と話を決めてきて「いいから書け!」と言われたから断れずに書いただけで、誰かを救おうなどという意図はまったくない。
というか、そんな余裕はなかった。淡々と起こったことと、そのときの心境を泣きながら書いただけだ。だから救われたと言われても、どこか恥ずかしいような気持ちになる。それなら良かったです、くらいしか言えない。
「ペットロス」状態とは
そんな人たちと話していて共通していたのは「ペットロスって、暇なんだよね」ということだった。最初は悲しみのどん底で、半年くらいは隠れて泣く日々が続くが、1年ほど経つと笑えるようになるし、周囲からは以前と同じように見えるのではないかと思う。本人は決して忘れたわけではなく、むしろ思い出さない日はないのだが、あえて口に出すこともなく、表面上は普通に振る舞えるようになる。
ただ、長年染み付いた「犬との暮らし」はなかなか抜けず、出かけたときに「あ、急いで帰る必要ないんだった」とか、雨の朝に「あ、散歩に行かなくていいんだった」と毎回思う。掃除機を毎日かけることも、犬のゴハンを作ることも、水がなくなっていないか注意して見る必要もない。制約が色々なくなり自由になったはずなのに、それが暇なのだ。
暇を感じる合間に思い出す
そんなことを人に言ってもしょうがないし、分かってもらいたいとも思わない。ただ、なんとなく暇なのだ。長年の動きは体が覚えていて、意図していないのに、いつも犬がいた場所へ首がくるっと向いてしまう。そんな「癖」がなかなか抜けない。そして、家具の後ろから抜け毛が出てきたりすると、自然に涙が頬をつたう。何かが足りないのだが、足りないものも、それが決して満たされないことを知っている。だから諦めるしかない。私が経験したペットロスとはそういうものだった。
今回話した中には、また新たな犬を迎えた人や、2年経つけどまだ迷っているという人、もう迎えるつもりはないという人がいた。それぞれが決めればいいことだと思う。ただ、「またあんな悲しい思いをするのかと想像すると、どうしても踏み出せない」という人がいたが、それは私も同じだった。
大吉を迎えてよかったと思う
その気持ちは良く分かる。大吉を迎えるかどうか、吐きそうになるほど悩んだから。これまで生きてきて悩んで吐きそうになったのは、あのときだけだ。でも大吉を迎えた初日に、そんな悩みは消えた。大福を迎えてよかったと思っている。富士丸のことも忘れていない。そして今に至る。私の場合は、そんな感じだ。
プロフィール
穴澤 賢(あなざわ まさる)
1971年大阪生まれ。2005年、愛犬との日常をつづったブログ「富士丸な日々」が話題となり、その後エッセイやコラムを執筆するようになる。著書に『ひとりと一匹』(小学館文庫)、自ら選曲したコンピレーションアルバムとエッセイをまとめたCDブック『Another Side Of Music』(ワーナーミュージック・ジャパン)、愛犬の死から一年後の心境を語った『またね、富士丸。』(世界文化社)、本連載をまとめた『また、犬と暮らして』(世界文化社)などがある。2015年、長年犬と暮らした経験から
「DeLoreans」というブランドを立ち上げる。
ブログ「Another Days」
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大吉(2011年8月17日生まれ・オス)
茨城県で放し飼いの白い犬(父)とある家庭の茶色い犬(母)の間に生まれる。飼い主募集サイトを経て穴澤家へ。敬語を話す小学生のように妙に大人びた性格。雷と花火と暴走族が苦手。せっかく海の近くに引っ越したのに、海も砂浜もそんなに好きではないもよう。
福助(2014年1月11日生まれ・オス)
千葉県の施設から保護団体を経て穴澤家へ。捕獲されたときのトラウマから当初は人間を怖がり逃げまどっていたが、約2カ月ほどでただの破壊王へ。ついでにデブになる。運動神経はかなりいいので、家では「動けるデブ」と呼ばれている。