先代犬の「富士丸」と犬との暮らしと別れを経験したライターの穴澤賢が、
数年を経て現在は「大吉」と「福助」(どちらもミックス)との暮らしで
感じた何気ないことを語ります。
わが家の大吉と福助は、ほとんどむだ吠えしない。その原因のひとつは私にあるのかもしれない。犬は何らかの要求があるときに、吠える。たとえば迎えた当初、子犬だった大吉はケージから出して欲しいと吠えた。常に閉じ込めていたわけではなく、留守番させるときは間違って何が飲み込んだら危ないからケージに入ってもらうことにした。それに慣れてもらうため、私が家にいるときに短い時間から訓練した(今は常にフリー)。
大福が吠えるとき
すると、すぐにキャンキャン吠える。「ここから出せ!」ということなのだろう。そういうとき、ひらすら無視した。いくら吠えていても、私は違う部屋で黙々と仕事していた。吠えるのはそれなりに疲れるのか、そのうち静かになる。そこで初めて大吉のところへ行き、ケージから出す。つまり、いくら吠えたところで君の要求が常に通るわけじゃないよ、ということを学んでもらうためだ。
これをやっていると、次第に大吉は吠えなくなった。吠えてもむだだと知ったのだろう。福助に同じことをした記憶はないが、なぜか彼も吠えない。しかし例外もある。玄関のチャイムがなると、大吉と福助は吠えまくる。ピンポーン!となった瞬間、競うように何度も吠える。その声には警戒の色があるから「誰か来たぞ!」と私に教えてくれようとしているのかもしれない。チャイムがなった時点で分かっとるわ!と思うが、親切心からかもしれないので、あきらめて好きに吠えさせている。
これまでわが家に敵が攻めて来たことは一度もなく、たいていは宅配便なのに、なぜそこは学ばないのだろう。そして謎なのは、ちょいちょいチャイムがなってもまったく吠えないことがあるのだ。大福は、何事もなかったかのようにダラダラしている。ドアの向こうの気配から、吠える相手を察して選んでいるのかと思いきや、出てみるといつもと同じ宅配便のドライバーだったりする。
眠いときは反応しないのか? と観察してみたが、特にそういうわけでもないらしい。どういう基準なのか、まったく分からない。気分で吠えているとしたら、お前らの警戒心はどうなってるんだと言いたい。
「吠えろよ」事件
先日、夜眠っていると、どこかから「カリカリ……」、「カリカリ……」、とかすかに妙な音が聞こえてきた。うっすら目を開けると外はまだ薄暗い。枕元の時計を見ると朝4時である。そこでまたまた「カリカリ……」、「カリカリ……」。玄関の方から聞こえる。大吉は隣で眠っているが、福助の姿が見えない。「もしかして」と急いで階段を降りると、福助が玄関の扉を前足でカリカリしていた。やっぱり。寝ているときにおなかが痛くなってもよおしているのだろう。慌てて外に出すと、草むらで下痢をした(家にトイレスペースがあるのにそこでは絶対にしない)。ふう、間に合った。
ホッとした表情をする福助を見て思う。外に出たくて、起きて欲しくて、しきりに扉をカリカリしていたのだろう。気づいてやれて、よかった。間に合って、よかった。しかし、だ。そういうときこそ、吠えて知らせてくれよと思う。その責任も私にあるのかもしれないが、助けが必要なときは、吠えろよ。宅配便に吠えなくていいから。
プロフィール
穴澤 賢(あなざわ まさる)
1971年大阪生まれ。2005年、愛犬との日常をつづったブログ「富士丸な日々」が話題となり、その後エッセイやコラムを執筆するようになる。著書に『ひとりと一匹』(小学館文庫)、自ら選曲したコンピレーションアルバムとエッセイをまとめたCDブック『Another Side Of Music』(ワーナーミュージック・ジャパン)、愛犬の死から一年後の心境を語った『またね、富士丸。』(世界文化社)、本連載をまとめた『また、犬と暮らして』(世界文化社)などがある。2015年、長年犬と暮らした経験から
「DeLoreans」というブランドを立ち上げる。
ブログ「Another Days」
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大吉(2011年8月17日生まれ・オス)
茨城県で放し飼いの白い犬(父)とある家庭の茶色い犬(母)の間に生まれる。飼い主募集サイトを経て穴澤家へ。敬語を話す小学生のように妙に大人びた性格。雷と花火と暴走族が苦手。せっかく海の近くに引っ越したのに、海も砂浜もそんなに好きではないもよう。
福助(2014年1月11日生まれ・オス)
千葉県の施設から保護団体を経て穴澤家へ。捕獲されたときのトラウマから当初は人間を怖がり逃げまどっていたが、約2カ月ほどでただの破壊王へ。ついでにデブになる。運動神経はかなりいいので、家では「動けるデブ」と呼ばれている。