先代犬の「富士丸」と犬との暮らしと別れを経験したライターの穴澤賢が、
数年を経て現在は「大吉」と「福助」(どちらもミックス)との暮らしで
感じた何気ないことを語ります。
少し前に『
キッチンリフォームの全貌』を書いたが、それで終わりではなかったので、一応どうなったか触れておこうかと思う。以前の昭和キッチンが低くて狭くて使いづらかったのは解消されてよかったが、まだ問題が残っていた。それが収納だ。
まだまだ荷物が多すぎる問題
キッチンリフォームでまぁまぁ収納は増えたのだが、まだ足りなかった。それは腰越(鎌倉市)と八ヶ岳(原村)の2拠点生活時代があったからだが、完全移住するときには家2軒分の荷物があった。それを1カ所にまとめるのは無理なので、随分処分したが、軒下の物置小屋には食器や調理器具などキッチン回りの荷物が入った段ボールが10箱くらいある。それをなんとかしないといけなかったのだ。
大工さんと相談した結果、キッチン脇に小屋を新たに作り、そこをパントリーにすることにした。家の中には扉を作り、小屋と行き来できるようにする。そうするとかなり便利になる。
そこでまず基礎を作り、その上に小屋を作ってもらった。パントリーで長時間過ごすことはないが、家とつながっているので断熱材もしっかり入れてもらう。そうして内側ができたら、家の壁をぶち抜いて階段を作るという段取りだ。
パントリーがとうとうできた
その後、着々と工事は進み、家の中とつなぐ日が来る。ちょくちょく覗いてはいたが、大工さんは1人でこれを作っている。自分では絶対できない。
パントリーなので、小屋だけ作っても仕方ない。そこでコの字型に棚板も組んでもらった。これだけあればかなりのものが収納できる。
ただ、2023年11月に移住して、それから約2年間物置小屋に置きっぱなしで、特に困っていなかったんだから、それらの荷物を引っ張り出したところで必要なのか? そうなると、そもそもパントリーなんていらなかったことになる。いやいや、収納はたくさんあったほうがいい。
思えば、2017年に手に入れたときは、外階段は朽ち果てているわ、雨漏りはするわ、アルミサッシの薄いガラスだから冬は激寒で、それをどうにかこうにか工夫して山で過ごしてきたが、大工さんのおかげで和室がリビングになり、2階の物置小屋を寝室にリフォームにして階段を作ってもらったり、樹脂サッシを追加で入れたり、少しずつ快適になって今にいたる。2024年には念願だった薪ストーブも入れて、冬も室内は暖かくなった。
けれど、そのために夏の間に薪割りして準備しておかないといけなかったり、少し油断すると雑草が育ちまくるのでちょくちょく草刈りしないといけなかったり、芝生を育てたり刈ったり、肉体労働の連続である。
それでも大吉と福助は元気でのびのび暮らしているようだから、山に移住してよかったと思う。
リフォームはパントリーでいったん終了だけど、実はまだまだやりたいことはある。なぜなら、物置小屋には私のCDと本が10箱以上眠っていたりするから。なぜわが家はこんなにも荷物が多いのか。
プロフィール
穴澤 賢(あなざわ まさる)
1971年大阪生まれ。2005年、愛犬との日常をつづったブログ「富士丸な日々」が話題となり、その後エッセイやコラムを執筆するようになる。著書に『ひとりと一匹』(小学館文庫)、自ら選曲したコンピレーションアルバムとエッセイをまとめたCDブック『Another Side Of Music』(ワーナーミュージック・ジャパン)、愛犬の死から一年後の心境を語った『またね、富士丸。』(世界文化社)、本連載をまとめた『また、犬と暮らして』(世界文化社)などがある。2015年、長年犬と暮らした経験から
「DeLoreans」というブランドを立ち上げる。
ブログ「Another Days」
ツイッター
インスタグラム
大吉(2011年8月17日生まれ・オス)
茨城県で放し飼いの白い犬(父)とある家庭の茶色い犬(母)の間に生まれる。飼い主募集サイトを経て穴澤家へ。敬語を話す小学生のように妙に大人びた性格。雷と花火と暴走族が苦手。せっかく海の近くに引っ越したのに、海も砂浜もそんなに好きではないもよう。
福助(2014年1月11日生まれ・オス)
千葉県の施設から保護団体を経て穴澤家へ。捕獲されたときのトラウマから当初は人間を怖がり逃げまどっていたが、約2カ月ほどでただの破壊王へ。ついでにデブになる。運動神経はかなりいいので、家では「動けるデブ」と呼ばれている。