先代犬の「富士丸」と犬との暮らしと別れを経験したライターの穴澤賢が、
数年を経て現在は「大吉」と「福助」(どちらもミックス)との暮らしで
感じた何気ないことを語ります。
福助を見ていて不思議に思うことがある。もう7才になるのに、まだガキンチョ丸出しなのだ。オモチャを渡すと必ず大吉の分を奪う。仕方なく大吉が残った方を取ろうとすると、そっちも奪う。
すぐにおもちゃを奪う福助
試しに私が福助からオモチャを奪い取り、大吉に渡すと、速攻で奪う。余った分を拾って大吉に渡すと、福助はくわえていたオモチャを放し、そっちを奪う。口はひとつしかないのに。
この一連の流れは面白いのでオモチャを与える度に遊んでいるが、福助は遊んで楽しんでいるというより「オレの物はオレの物、大吉の分もオレの物」と主張したいらしい。幼い頃からそこは変わらない。ガキというか、強欲すぎる。
振る舞いが子どもっぽい福助
ただ、その態度に傲慢さはなく、無邪気さが漂っているのでガキっぽいのだ。7才をすぎた今もそんな調子のままだ。それ以外でもときどき不意をついて大吉に襲いかかったり、自分は
大吉を枕にするくせに、自分が枕にされると嫌な顔をするなど、端々に子どもっぽさが見られる。
大吉も大吉で、ガツンとかましてやればいいのに決して本気で怒ることはない。もうすぐ10才になる大吉のほうが未だに運動神経は良く、何かにつけて体の使い方がうまいからバトルしても負けないはずなのに(実際にうまくかわして負けはしないが)。
犬の7才といえば、シニアである。もっといえば、3才頃まではガキンチョで手を焼かされたとしても、5才くらいになると精神年齢は人間を追い越して、逆にどこか達観したように呆れた目で見られることがある。
富士丸がそうだったし、大吉もそういう顔をすることがある。しかし福助にはその兆しすらない。それは幼稚だからか、といえばそうでもない。普段はなんの手もかからないし、自分で
ドアをガラッと開けて移動したりする。
福助の末っ子魂
福助がガキンチョなのは、大吉の「穏やかな兄っぷり」に原因があるのではないかと思う。だから、福助はちょっとくらい好き勝手やっても怒られないと分かっているのだろう。
計算高い、というのとも少し違う。「これくらいやっても大丈夫」というラインがあり、意識せずともそれがサラッと出来てしまうのだろう。俗にいう「末っ子魂」だが、犬にもこれほど分かりやすくその特徴が出るとは。ちなみに本気で怒る兄や姉の場合、末っ子魂は発動されない。
何より驚くのは、7才になってもまだ末っ子魂が継続中ということだ。そして、それでも仲良くやっている。優しい兄のところへ来て良かったな、福助。
プロフィール
穴澤 賢(あなざわ まさる)
1971年大阪生まれ。2005年、愛犬との日常をつづったブログ「富士丸な日々」が話題となり、その後エッセイやコラムを執筆するようになる。著書に『ひとりと一匹』(小学館文庫)、自ら選曲したコンピレーションアルバムとエッセイをまとめたCDブック『Another Side Of Music』(ワーナーミュージック・ジャパン)、愛犬の死から一年後の心境を語った『またね、富士丸。』(世界文化社)、本連載をまとめた『また、犬と暮らして』(世界文化社)などがある。2015年、長年犬と暮らした経験から
「DeLoreans」というブランドを立ち上げる。
ブログ「Another Days」
ツイッター
インスタグラム
大吉(2011年8月17日生まれ・オス)
茨城県で放し飼いの白い犬(父)とある家庭の茶色い犬(母)の間に生まれる。飼い主募集サイトを経て穴澤家へ。敬語を話す小学生のように妙に大人びた性格。雷と花火と暴走族が苦手。せっかく海の近くに引っ越したのに、海も砂浜もそんなに好きではないもよう。
福助(2014年1月11日生まれ・オス)
千葉県の施設から保護団体を経て穴澤家へ。捕獲されたときのトラウマから当初は人間を怖がり逃げまどっていたが、約2カ月ほどでただの破壊王へ。ついでにデブになる。運動神経はかなりいいので、家では「動けるデブ」と呼ばれている。