ここでは、犬と、犬を取り巻く社会がもっと幸せで素敵なものになるように活動している方々をレポートします。
今回は、保護犬を引き取り聴導犬の育成をして、聴覚障害のある方々に無料貸与を行う日本聴導犬協会の福祉の取り組みについて紹介します。
日本聴導犬協会の取り組み
2008年に竣工した長野県の日本聴導犬協会の本部。全館バリアフリーで、聴導犬・介助犬育成施設、聴導犬・介助犬訓練士学院も併設
1996年に発足した、社会福祉法人日本聴導犬協会は、全国から「聴導犬」に適した素質をもつ保護犬を引き取り、訓練を行い、聴覚障害者の方々へ無料で貸与する福祉事業を行っています。
社会福祉法人日本聴導犬協会代表 有馬もとPh.Dさん。留学雑誌の編集長として活躍後、英国の大学院に留学。その後、英国聴導犬協会での研修を経て、1997年に日本聴導犬協会の会長に就任。2001年には中日新聞「社会功労賞」などを受賞
聴導犬とは、聴覚障害者の方に屋内外での生活に必要な音、たとえばインターフォン、目覚まし時計、キッチンタイマー、車のクラクションなどを教える役割をします。また、聴覚障害者の方は見かけでは障害の有無がわかりにくいため、聴導犬を同伴することで、周囲からの協力も得られやすくなるそうです。
同協会は、聴覚障害者がより自立した生活を送り、積極的に社会参加するためのお手伝いをすると同時に、保護犬たちの命を救うという、2つの福祉を使命として活動しています。
代表の有馬さんは、聴導犬を広めるPR活動にも力を入れ、本部をはじめ全国で講演も行っています
英国発、保護犬による聴導犬育成プログラムを日本に!
まずは、なぜ保護犬を聴導犬として育てることになったのか、代表の有馬もとさんに伺ってみると、「今から約30年前、英国に留学していたときに英国聴導犬協会の存在を知ったことがきっかけです。英国では保護犬を聴導犬として採用し、犬が本来もっている才能を障害者の支援に生かすという活動が定着していました。聴導犬は、犬の体高や犬種などに規定がないので、聴覚障害者の必要に応じて中型や小型の保護犬でも立派に役割を果たせるんです」とのこと。
協会では定期的に聴導犬候補の犬、家庭犬候補の犬の預かりをするボランティアのためにパピークラスを開催。公園で基礎訓練などを行います
沖縄の保護団体から来た生後7カ月のはじめくん。この日は新しい預かりボランティアさんの家へ
有馬さんは英国から帰国後はジャーナリストとして活躍し、ある日、長野県の伊那保健福祉事務所を取材したとき、当時の小林美智子所長から「保健所は犬猫の殺処分を多数しているという汚名を払拭したい」と相談を受けました。
「そのとき、英国聴導犬協会の保護犬の訓練プログラムを思い出し、『関心があれば、お話をつなぎますよ』と提案したんです。すると所長さんからは翌日、『よいことだからすぐに始めましょう!』と返事が来て、そこから話が進んでいきました」
有馬さんは、伊那保健所職員とさっそく英国聴導犬協会を訪問し、交渉した結果、代表のトニー・ブラント氏から全面協力を得られることに。そして、1996年、小林美智子所長と、30名のボランティアとともに「日本聴導犬協会」を長野県に設立。有馬さんは、まずボランティア数名とともに再び英国に渡り、聴導犬訓練士の資格取得の勉強と実践を積みました。
ただ当時、英国のブラント氏は、「日本犬の血が入った保護犬は、飼い主への忠誠心は高いが、頑固で神経質な面をもつ犬も多いので、果たして聴導犬に向いているのか……」ということを心配していたそうです。
この日は総勢26名のソーシャライザーさんが犬たちとともに集まり、輪になって歩行訓練をしたり、正しいリードの持ち方などを学びました
「たしかに、いざ日本で保護犬の聴導犬訓練を始めてみると困難の連続で、第1号の聴導犬が育つまでには3年の期間がかかりました。さらに、日本では『聴導犬』の認知度がまだまだ低く、ましてや保護犬が障害のある方の介助をするなんて大丈夫なのか?という声も上がったことも」と有馬さん。そうしたさまざまな困難を乗り越えて、記念すべき第1号の聴導犬となったのは、元保護犬みかんちゃんでした。その出会いは、まさに奇跡的だったといいます。
撮影/田尻光久
次回は活動を大きく前進させることになる、奇跡の犬・みかんちゃんとの出会いをレポートします。
※保護犬の情報は2022年12月7日現在のものです。
出典/「いぬのきもち」2023年2月号『犬のために何ができるのだろうか』
写真/田尻光久
写真提供/日本聴導犬協会 MAYUMI
取材協力/パークサイドカフェ・バーゼル
取材・文/袴 もな